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このサイト様に触発されて、私も書籍、ウチの物置を捜索してみました。
昭和49年発行の書籍に「勘次郎館」に関する記述があったので紹介します。
ここより引用
勘次郎館
字原林にあり、勘次郎館(正しい文字は不明)といい、現在字上屋敷共同墓地のある西側一帯の高台のようになっているところにあります。
引用終わり
この文章では、笹谷城という名ではなく、住所も字道本林でもなく、、伝承のとおりです。
しかし、後続の文を読みますと、現在でいう「原林遺跡」をも含む広い範囲を指しているようです。
引用開始
林の中の雪室(雪を貯蔵したところ)の後も大正初期まで残っていました。
引用終わり
とあるのですが、昭和初期まで林が残っていたのは「原林遺跡」の場所でして、、はい。
堀の方は明治より段階的に埋め立てられまして、、大正期は既に開墾され畑地の形になっております。
戦中、昭和10年頃ほぼ平らな果樹園となり、戦後20年代に完全に姿を消しております。
止めの整地をしたのは、、私の親父様でした。
上記文章を読んだ感想といえば、、東西80間、南北75間の古城跡というのもあながち・・、です。
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