巽の間掲示板



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25件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[25] もの作り 人づくり

投稿者: 月本 投稿日:2017年 4月24日(月)22時05分58秒 pl12009.ag5354.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

 脇差の拵が出来上がりました。素人ですが拵づくりが好きな人がおられるのでお願いしました。一年四か月ほど待ったと思います。中身は一尺七寸五分。
銘 豊州高田住藤原(以下切)磨上で保存の証書には「統行」と極められています。
 深い錆跡がいくつもあり、刀はそれなりにできていると思いますが新刀でこの状態では最後まで売れ残ったのがわからないでもありません。お店を閉める日におたずねしたところ刀屋さんがくださったものです。
 今の時代のコレクターからみればどうというものではないかもしれませんが、寛永頃の鍛冶が一生懸命鍛え、おおくの人が今日まで大切に伝えてきた刀です。
 その拵づくりが好きな人は本職の傍ら主に居合刀の拵を頼まれて作っているそうです。
制定居合用の刀もそれはそれで競技用というはっきりとした目的をもってつくられた良い刀ですが、たまにはこういう本歌の刀の拵を作ってみるのも参考になると思います。
 鍔も刀屋さんが閉店の時に下さったもので大変鉄味の良いもの。友人の見立てでは正阿弥だそうです。縁は赤銅磨地・片切彫の龍で目貫は後藤の龍。鵐目も時代のものをつかってもらいました。
 居合用の現代金具にも立派なものがあるのでしょうけれど、やはり江戸期の刀を江戸期の金具を使ってまとめるといろいろと発見があるのではないでしょうか。
 私にもの作りはできないけれど、つまり一貫斎や山本さんにはなれないけれど、ものづくりをする人達を応援することはできると思うのです。
 その刀屋さんや山内豊健先生の刀の柄を巻いていた柄巻師のおじいちゃんが教えてくれました。
職人さんに対しては 急かせない・値切らない これが一番大切なことだそうです。数寄者にとってその道で人を育ててゆく上で大事なことをおしえてもらったと思っています。何かにつけてそうだと思いますが、少なくとも好きな道では心の端のどこかに「人づくり」ということを置いていたいと思います。




[24] 山本さんは良い読者を持ったと思います

投稿者: 月本 投稿日:2017年 4月24日(月)21時19分23秒 pl12009.ag5354.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

 とにかく丁寧な取材をする人でした。『雷神の筒』を書くときに「どこかに今でも種子島を撃っている人がいるに違いない」と思って探されたのが私との出会いのきっかけです。
 その後、自分でも種子島を撃つようになり、そして一貫斎に巡り合ったというわけです。
立ち止まることなく、どんどん成長してゆく人でしたから一貫斎に巡り合うことができたと思います。
鉄砲一筋、といえば聞こえがよいですが、それは鉄砲に胡坐をかく、とか鉄砲の殻に閉じこもることにもなりかねないと思います。
 一貫斎は鉄砲という自分の本筋は決して粗末にしませんが、決してそこに閉じこもることをしなかったところは確かに、言われる通り一貫斎は山本さんだと思います。

 昔山本さんと居合の話をしたとき、私はこんなことを話したことがあります。
「居合は居合だけやっていたら居合しか上手くなりません」
 こういえば何を言いたいかをすんなりとわかってくれる人でした。

 それにしても作品をとおして山本さんをよく理解してくださっていますね。山本さんが生きておられたら
喜んでくださったと思います。



[23] 本を読みました

投稿者: 玄成 投稿日:2017年 4月21日(金)12時28分39秒 ttb5-ip169.user.xsp.fenics.jp  通報   返信・引用

山本兼一さんの作品「夢をまことに」上下巻を読みました。
国友一貫斎を主人公とした物語で、非常に楽しく途中からは引き込まれるようにして読了しました。

この作品は山本さんの病が相当に進み、「利休にたずねよ」が外国の映画祭で大絶賛されたころに書かれたものと聞きました。
いつものように心にグッとくる言葉が随所にあったのはもちろんのこと、神仏への感謝から周囲の人への感謝に昇華していく後段のくだりは、大きな病気を体験している私自身の経験とかぶり涙しました。

国友一貫斎が山本さん自身のように感じられた私は、最後にこのように感謝、希望、といったものを抱きつつ眠りにつけたのならば、幸福感に満たされていたのではないか、と感じました。

人は死んでも、技術は残る。
その技術が後世の人を幸せにするならば。

そういう心で生きて行かなくては、と改めて考えた作品でした。
私は山本兼一さんの全ての作品を読んできましたが、この作品は最高の作品だったように思います。



[22] 時代があわないような・・・

投稿者: 月本 投稿日:2017年 4月18日(火)16時09分9秒 pl12009.ag5354.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

 とある博物館で渡来人をテーマとした企画のポスターがありました。
へんだなぁ、と思ったのはそのポスターにハングルが書かれていたこと。
私には読めませんけど、ハングルには間違いないと思います。
 日本に渡来人がやってきたころからハングルが出現するまでにはおよそ
千年くらい間が空いていると思うのですが・・・。
 時代が合わない気がします。

 渡来人といえば、新羅に百済が滅ぼされたとき、百済からたくさんの
人がやってきましたね。
 半島で今度新羅と百済が戦ったらどちらが勝つのかは知りませんが、
どっちが勝ってもやはりまた百済からたくさんの人が渡ってくるような
気がします。
 まぁ、もう新羅も百済もありませんからそんなことはおきませんけれど。
白村江の戦の時代はもう遠い昔ですから。
 それはともかく、その頃は絶対ハングルはなかったですよね。



[21] 花の元禄

投稿者: 月本 投稿日:2017年 4月10日(月)22時18分15秒 pl12009.ag5354.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

湖北堂様

 ありがとうございました。この大小は本当によくできたと思っています。それで他府県に住む友人たちにも見てもらいたいと思っていました。
お茶の稽古のあと、自然と刀や拵の話になりますね。
昨日もそうでした。次に大小に組みたい近江守忠綱弟子の吉綱作の脇差が一尺七寸。あの大小の脇差の山城守国次が一尺七寸五分。大刀の大磨上無銘の大和末手掻が二尺六寸三分。
末手掻と国次で釣り合っているのなら、吉綱と組む大刀もある程度長くないと、とは思うが・・・。それでお稽古の後あの大小を出してきて掛けたのでしたね。
 今考えているのは一尺七寸の吉綱に対して二尺二寸五分の彦左衛門祐定。末手掻と比べると相当短い。大小の差があまりありません。
 でも私は「いける」と思っています。吉綱は元禄新刀で反りがありますし、祐定も七寸五分と反りが深い。反りの浅い寛文新刀の国次と大磨上で反りがなくなってまっすぐな末手掻の取り合わせとは雰囲気が違うと思うのです。吉綱の鞘をできるだけ短く作ってもらって大小の反りの調子を鞘でうまく合わせてもらったらよくなると思っています。
 元禄と言うと関が原から百年も過ぎ、天下泰平で豪華絢爛な時代というイメージが強いですけれど、元禄新刀をみているとその姿にはどこか末古刀のイメージがあると思うのです。
 それに元禄といえば『葉隠』が書かれた時代でもあり、赤穂事件があった時代でもあります。すべての人が華美に、軟弱に流れていたとは言えないのではないでしょうか。天下泰平、刀など不要な時代にわざわざ新作を作らせる人達というのはやはり武に志のある人たちだったのではないかと思います。
 そんなイメージもあり、昔からなんとなく元禄新刀は好きでした。そんな気持ちが祐定を選ばせたのかもしれません。
 祐定といえばもう一振り持っていて、そちらは三寸五分と長いのですけれど、すでに時代の拵がついていますから。
 やはり拵を作るのなら白鞘の刀でないと・・・。



[20] 本日の茶席にて

投稿者: 湖北屋満造 投稿日:2017年 4月 9日(日)20時43分10秒 FL1-118-111-185-165.kyt.mesh.ad.jp  通報   返信・引用   編集済

本日のお茶のお稽古で飾られておりました、お軸と大小の拵です。

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[19] 「終活」、やっています

投稿者: 月本 投稿日:2017年 3月29日(水)22時20分40秒 pl12009.ag5354.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

刀を手に入れました。

銘 表 備前国長船彦左衛門祐定作  裏 天正七年二月日
生中心 穴一つ
長さ  二尺二寸五分 反七分半
刃文 互目 帽子 小丸

薄錆やヒケ傷がありましたので研師さんに送ったところ「年紀などから見て四国打ちではないか」と教えてくださいました。
 天正七年というと長曾我部が四国をほぼ平定した頃から間もない時期です。武器の充実ということもあったのでしょうが、一つには備前から鍛冶集団を招いて刀を打たせることで長曾我部の力を誇示しようという意図があったのではないでしょうか。
 で、棟梁格の彦左衛門祐定に打たせた刀などは有力な部下や服属した各地の武将や土豪の長などにいわば「恩賜の軍刀」として与えることで上下関係を明らかにさせるとともに彼らの長曾我部への忠誠心を高めさせようとしたのではないかと思います。

 刀は「きったはった」だけのただの人斬り包丁ではありません。神として、また祭具として日本人の信仰と深く結びついた大切なものだと思います。
 また、それだからこそ、その贈答・下賜・献上ということが政治的にも文化的にも深い意味を持っていたのだと思います。

 研ぎあげてもらったら、かねて何度もお話ししていた父の形見の鍔をかけて我が家の信仰である天神信仰に基づいた刀拵にしたいと思います。

 それにしてもこの二尺二寸五分というのは願ってもないよい寸法でした。小柄笄を入れるのにもちょうどよいと思います。
 それに江戸初期に御府内で普通にさせる刀の寸法が二尺二寸八分でしたから、参勤などで江戸入りしたのち、暇を見つけて御府内で学問の師につくとか、武術のお稽古に通うとかいうとき、外出用の刀としてぴったりです。
 どこで人に見られても恥ずかしい刀ではありませんし、どこかで間違いをおこしてもお国鍛冶の作ではないので「浪人某」で押し通せます。

 この頃「終活」という言葉をよく耳にします。私も五十五歳になります。生まれつきそんなに丈夫な方でもありませんからそろそろ私も考えなくてはならないと思います。
 ただ、ずっと独り者ですからアルバムとか思い出の品とかはありません。だから身辺整理は必要ないと思います。
 よく「終活」はもう一度人生を見つめなおし、残りの人生をどう生きるかを考える機会だ、などと言うことを聞きます。

 これには私も賛成です。私は残りの人生で何ができるか。そう考えるときやはり私の答えは「刀」だとおもいます。この祐定も決して大事に伝えられていなかったようです。そういう刀の中から自分の財力等、「手に負える」範囲の刀を選び、今より良い状態でたとえ一振りでも二振でも次の時代に残したいと思っています。

 友人の中には「死後博物館に納めるよう手続きをしておいたら」と言ってくれる人もありますが、私はそうはしたくありません。
 俗にいう「ますぼり」ということがあります。博物館員等が収蔵品をひそかに持ち出し売り飛ばしてしまうことです。
身近にそういう被害者を見ていますし・・・。

 それに、私が死んで国有となり、競売にかけられたらわずかでも国にお金がはいるし、刀はまた大切にしてくれる人のところに行くことができると思います。
「ますぼり」にあうようなことはないにしろ、私の刀など大したものはありません。おそらくそう展示されることもなく、収蔵庫の中で眠り続けるのが関の山ではないでしょうか。

 それは嫌ですね。刀は必ずしも人を斬るだけではありません。人を斬ったことのない刀だってたくさんあります。
 しかし、刀はどんな刀でも皆、日本人の心に寄り添い、日本人の心を育ててきたと思います。今私の手元にある刀も私が死んだらまた世の中に散って行って、どこかで誰かの心を育てていってほしいと思っています。永遠に。



[18] 林間に紅葉焚きっぱなし・・・

投稿者: 月本 投稿日:2017年 3月28日(火)21時27分34秒 pl12009.ag5354.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

 最近、来客が続き週末ごとに季節には関係なく林間に紅葉を焚いています。今度の土曜日も大学の後輩が関東方面よりやってきます。
京都のとある能役者がひらく日曜日の会に招かれたそうで前日より泊まりにまいります。
と、申しても私は仕事ですので帰りは七時過ぎになりましょうか。
 この頃は春とは申せ、まだまだ寒いので茶釜に湯を沸かし、燗をつけて少し温かくしてというのもよいのではないかな、と思います。
この時期、酒の肴といえば何があるのでしょうねぇ。
 私はカツオのたたきが好きで年中食べていますけれど流石に今が旬ではないことくらいは知っています。
タケノコの刺身なんてスーパーでは売っていないし・・・。



[17] 地獄捜しの下緒

投稿者: 月本 投稿日:2017年 3月23日(木)20時15分2秒 pl12009.ag5354.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

 先日、下緒の結び玉の話になりました。人によって体格が違うので厳密には言えませんが、おおむね栗型から五寸。およそ結び玉が鞘の峰にのるくらいというのが故実にあります。
組討ちのとき便利ですから。

 それから地獄捜しですが英信流独特の業ではなく、いくつかの流儀でもあると聞きました。そうでしょうねぇ。
 下緒を結ぶとき二本をくるりと輪にして団子結びする人があるけれど、私は好みません。そういう故実を知らないだけなのかもしれませんけれど。
私は二つ折りにして下に来る下緒を上の下緒で巻くようにして結びます。これも故実の通りです。こうしておくと片方には結び玉がないのでいざというときには簡単に栗型から外してたすきにもかけられますし、地獄捜しのときは暗闇の中でも手の感覚だけでい栗型から抜けない程度に下緒伸ばせます。下緒を伸ばしておいてその端を右手の小指と薬指の間に挟んでおけば相手に触れた瞬間に飛ばしてしまう鞘もどこかにやってしまわずに素早く回収できますから。
 先日は加古川のお稽古でこんなことやら無刀取りやらをやっていました。まじめに稽古しなくてはいけないのですけれど、最近合気道の先生が遊びに来られるのでつい柔っぽいねたで遊んでしまいます。

 宗家とか家元とか、あるいはそのお弟子さんはきちんとしたお稽古をしなくてはならないのでしょうけれど、私のお稽古は亜流のしかも遊び半分、いえ、まるっきり遊びの稽古ですから、まぁ、こんなものです。



[16] ハバキの話

投稿者: 月本 投稿日:2017年 3月16日(木)21時48分13秒 pl12009.ag5354.nttpc.ne.jp  通報   返信・引用

 先日有人から「居合刀のハバキを新調するのに銀は向かないのでしたっけ?」という趣旨のメールが入りました。
 確かに銅よりも銀の方が柔らかくて銅より傷みやすいです。でもそれは鍔ががたついたときに「目釘が痩せていないか」、とか「鍔の責金がへたっていないか」とかを確認せず、むやみに切羽を足した場合に銅より柔らかい銀のハバキは痛みやすいです。
 でも、この無駄に切羽を足すやり方では刀の刃区を痛めることはハバキが銀だろうが銅だろうが同じことです。
 つまり、こういう馬鹿なことをしない限りハバキは銀でも銅でもよいと思います。切羽を足すくらいなら初めから金着せが銀着せの切羽にしておけばよいのに、と思います。
 また、金無垢や銀無垢より金着せや銀着せの方が鯉口のしまりが良くて鞘走りを防いで良いとされるので予算にもよるでしょうけれど、無垢でも着せでも同じが、あまり変わらないのなら着せが良いのではないかと思います。
 私の場合、居合刀といえば、貝三原、御勝山永貞はともに銀着せです。これらは古作ですが国輝は銀無垢。刀剣ブームの頃のものと思います。
 実は私はこの頃流行った銀無垢のハバキを好みません。ハバキのいわば飾り鑢である「祐乗鑢」が強調されていて目が深いので一種の鑢のようになっており、抜き差しすると鯉口の中ところ(はばきふくろ)を削って鯉口が甘くなりやすいように思います。
 それと、古い時代の拵がそのまま残っている場合、中身の刀には銅のハバキが多いように思います。昔はあまり精錬技術が進んでいないので金や銀なども自然に含まれていて今の純度の高い銅で作ったハバキより味わい深いように思います。
 また、銀でも銅でもハバキの下に油が溜まったのを放っておくと電気が流れて刀の表面もハバキの中も汚くなるのは同じことなので手入れをするときはハバキの中も手入れするのが良いと思います。
 私は居合刀の場合、時々ティッシュを紙縒りにしてハバキの中を掃除しています。


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